お市 ―― 選べなかった女
あなたには、自分の意思とは関係なく話が進んでいく場面がある。
上のふたりが対立して、どちらにつくかを、立場だけで決められてしまう。あなたが何を思っているかは、はじめから話に入っていない。
板ばさみのまま、どちらが勝っても、失うものはこちら側にある。
四百年以上前、その板ばさみを二度くぐり抜けた女性がいる。お市だ。
織田信長の妹。戦国一の美女とうたわれた人だ。けれど、その美しさばかりが語られて、彼女が何を思っていたかは、誰も書き残していない。
お市は、兄の決めた相手のもとへ嫁ぐ。近江の浅井長政。織田と浅井の同盟を結ぶための婚姻だった。
それでも二人の仲は良かったと伝わる。三人の娘にめぐまれ、お市の暮らしは、戦国の姫としてはおだやかなものだった。
そのおだやかさを壊したのは、ほかでもない兄だった。
信長と長政が敵どうしになる。兄が、妹の嫁ぎ先を攻める。お市は、実家と婚家の、どちらにもつけない場所へ立たされた。
両端をしばった小豆の袋を兄に送り、はさみ撃ちの危うさを報せた、という話が伝わる。夫を守ろうとしたのか、兄に情を残したのか、それを言った本人の言葉はない。
やがて小谷城が落ちる。長政はみずから命を絶った。お市は、三人の娘とともに城を出て、兄のもとへ戻される。一度目の落城を、彼女は娘たちと生き延びた。
数年後、その兄の信長も、本能寺で倒れる。お市はもう一度、家臣の柴田勝家のもとへ嫁ぐ。そして勝家が羽柴秀吉に敗れると、北ノ庄の城が、二度目の炎に包まれた。
このとき、お市は娘たちを城の外へ逃がした。そして自分は、勝家とともに城に残った。
逃げることもできた。げんに、娘は逃がしている。それでも、最後の一度だけは、残ることを自分で選んだ。三十七ほどだった。
お市の一生は、自分では何ひとつ選べないところから始まっている。生まれる家も、嫁ぐ相手も、その嫁ぎ先を攻める兄のことも、彼女が決めたものではない。運命は、いつも向こうからやってきて、彼女の暮らしを二度こわした。
それでも、最後に炎のなかへ残るという一点だけは、誰にも渡さなかった。流されるだけの生き方に見えて、いちばん重い決定を、ちゃんと自分の手に残していた。
三人の娘のうち、いちばん上の茶々は、のちに淀殿と呼ばれる。母がくぐった落城の記憶は、そのまま娘へと受け継がれていく。
お市の生涯を描いた本がある。
二度、城の焼けるのを見て、最後はみずから炎のなかに残った女が、たしかにそこにいた。