本当は強い女性の特徴5選 ―― 歴史に名を残した女たちも、そうだった
自分の弱さだと思っているところが、ある。
賢さを出しきれない。好き嫌いがはっきりしすぎる。本心を曲げられない。まわりからは不器用に見えるし、自分でもそう思っている。
けれど、歴史に名を残した女性たちを見ていくと、同じところを持っていた人が何人もいる。そして、その「弱さ」が、そのまま彼女たちの強さになっていた。
五つの特徴と、それを持っていた女性を、一人ずつ紹介する。
1. 賢さを、つい隠してしまう
紫式部(平安時代中期・生没年不詳)
『源氏物語』の作者、紫式部は、宮仕えの日々を書いた『紫式部日記』に、こう書き残している。宮中では、漢字の「一」という字さえ書けないふりをしていた、と。
漢文の学問は男のものとされた時代だ。帝に学識をほめられたことで、同僚の女房から「日本紀の御局(にほんぎのみつぼね)」というあだ名をつけられ、陰口の種にされたこともある。
だから彼女は、賢さを隠した。
隠せるのは、人の気持ちが見えているからだ。自分の賢さが、まわりにどう映るか。そこまで分かっている人にしか、隠すことはできない。
2. 好きと嫌いが、はっきりしている
清少納言(平安時代中期・生没年不詳)
同じ時代の宮中にいた清少納言は、その反対に見える。
『枕草子』には、「うつくしきもの(かわいらしいもの)」「にくきもの(腹の立つもの)」と題をたてて、好きなものも嫌いなものも、遠慮なく並べてある。
好き嫌いをはっきり言う人は、ときに角が立つ。けれど、その「好き」の書きつけは、千年たった今も読まれている。
はっきりした好みは、その人にしか書けないものを残す。
3. 本心だけは、どうしても曲げられない
静御前(平安時代末期・生没年不詳)
源義経の愛した白拍子(しらびょうし)、静御前。義経が兄の頼朝に追われる身となったあと、静は捕らえられ、鎌倉へ送られた。
鎌倉幕府の記録『吾妻鏡(あずまかがみ)』によれば、一一八六年四月、静は鶴岡八幡宮で、頼朝の前で舞うよう命じられる。そこで静は、敵である頼朝の目の前で、義経を恋しく思う歌をうたって舞った。
しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
頼朝は怒った。それを、妻の北条政子がとりなしたと伝わる。
身を守るだけなら、ほかの歌もあった。それでも静は、本心を曲げなかった。その一曲で、静の名は八百年以上たった今も残っている。
4. どん底を、知っている
春日局(一五七九〜一六四三)
春日局、幼い名を福(ふく)という。父の斎藤利三(としみつ)は明智光秀の重臣で、本能寺の変のあと、山崎の戦いに敗れて処刑された。
福は、謀反人の娘として育った。
その福が、のちに三代将軍・徳川家光の乳母(うば)となる。家光を育て、将軍の奥向きをまとめ、のちの大奥のかたちをつくった人として知られる。
どん底を見た人は、上に立っても足もとを忘れない。人の痛みの場所を知っているから、人の上に立てる。
5. 自分より先に、大切な人を守ってしまう
お市の方(一五四七?〜一五八三)
織田信長の妹、お市の方。一五八三年、二人目の夫・柴田勝家の北ノ庄城(きたのしょうじょう)が、羽柴秀吉の軍に囲まれる。
城が落ちる前、お市は三人の娘を城の外へ逃がした。そして自分は、勝家とともに城に残った。
逃がされた娘たちは、茶々(のちの淀殿)、初、江。その末娘の江の娘、和子(まさこ)は、のちに後水尾天皇の中宮となり、明正(めいしょう)天皇を生む。
自分より先に守った命は、のちに天皇家にまで届いた。
弱さに見えるものが、本当はその人の強さ
賢さを隠す。好き嫌いがはっきりしている。本心を曲げられない。どん底を知っている。自分より先に人を守ってしまう。
どれも、そのときのまわりから見れば、損な性分に見えたはずだ。けれど五人とも、その性分のまま、歴史に名を残した。
弱さに見えるものが、本当はその人の強さだった。
画像:小林清親「清少納言」1896年(ロサンゼルス・カウンティ美術館・パブリックドメイン/Wikimedia Commons)